デザインプロデューサー 小島けい子のプロフィール

1976年 石川県金沢市に生まれる。
法学部法律学科卒。
大学卒業後、地元の信用金庫に入庫。
その後、上京した際に就職した企業でパンフレット等、制作の担当となる。
一般企業→デザイン事務所→外資系ホテル内のフォトスタジオ勤務という、デザイナーとしては異色の経歴を持つ。
武蔵野美術大学 通信教育課程中退。
現在は商品の本当の価値=USPとデザイン理論を組み合わせた『ツカミのデザイン』のプロデュースを企業や個人経営者に行っている。

 

好きを仕事にしたはずなのに
カラダが悲鳴をあげました

私は子どものころから、いろいろ手作りすること「ものづくり」が大好きでした。

その好きが高じてグラフィックデザイナーとしてデザイン事務所に就職し、幸運にも「好き」を仕事にしてきました。
しかし、じつはデザイナーの仕事というのは思った以上に過酷なものだったのです。

デザイナーに必要なもの、それはセンスやスキルではなく、
1日13時間以上パソコンの前に座っていられる集中力でした。
文字通りパソコンの前に貼り付いてモノを作り続けるのです。

 

なぜなら「締め切り」が絶対の仕事だから。

 

どんなに無茶なスケジュールでも、必ず締め切りまでに仕上げなければなりません。
一度任された仕事は基本担当は代わりませんし、人手不足も重なって応援もありません。残業してでも、会社に泊まってでも、その仕事を期日までに仕上げます。

毎日、睡眠時間が3〜4時間、自宅から遠い職場だったので通勤に往復3時間をかけ、時には休日もなくなるような仕事を続けた結果、ついに体が悲鳴をあげたのでした。

2016年の4月に過労で入院。

その年の8月にデザイン事務所を退職、フリーランスの道を歩みはじめました。

 

フリーランスとなり手に入れたもの
その代わりに失ったもの

じつは、私は当初フリーランスになるつもりはありませんでした。
しかし、復帰しようと再就職先を探したところ、見つからなかったのです。

それも、そのはず。
グラフィックデザイン業界は40歳には、みな独立していくのです。

デザイン事務所は体力があり、新しいことをどんどん吸収する「若い人材」を常に欲しがっています。一方で、ベテランは自分のスタイルを確立しているので、事務所側は扱いにくい・・・

 

就職難という現実を見せつけられた私は、ちょうど起業ブームだったこともあり、あまり深く考えずにフリーランスのデザイナーとして仕事を開始したのです。

 

フリーランスになり、自宅で作業ができるようになったので、時間的な自由を手に入れました。それは本当に良かったと思っています。

ただし、それと引き換えに失ったのが「安定した収入」です。

 

デザイナーがフリーランスになる時は、多くはもといた事務所から仕事をもらえる状態、または顧客を持った状態で独立していきます。

ですが、私は体を壊しての急な退職だったこともあり、顧客まったくを持たずしての独立となりました。

そんな状態での独立でしたが、私はフリーランスになっても、呑気に「いいものを創り続ければ必ず仕事は入ってくる」そう信じていたのです。

しかし、世間はそんなに甘いものではありませんでした。

 

週休0日!安売り大量請負の現実

自分で仕事を取ってくることから始めなければならないのに、今までサラリーマンデザイナーだったので、営業の経験はほとんどありません。

以前、個人的にお付き合いのあった印刷会社や、個人事業主を回り、不定期のお仕事をいただきながら、生活費の足りない分はwebのコンペサイトに応募し、その当選報酬でなんとか生計を立てていました。

 

本当に「なんとか」という言葉がぴったりなのです。

 

すでに一人1台パソコンを持つ時代に突入し、だれでも簡単に使えるアプリが登場。名刺やチラシ・パンフレットなどの制作がもうデザイナーだけのものではなくなり、デザイン業界も価格破壊の波に飲まれていました。

誰でも作れるものですから、単価を下げないと注文が入りません。

私の仕事単価は名刺で片面4,000円、チラシで15,000円まで下がりました。

 

擦り切れる一方のフリーランス生活

1件15,000円というと具体的にどんな生活なのか。

毎月40万円の仕事を取るために、26件の仕事を取らなくてはいけません。
新規制作は1日がかり。修正などを含めると休み無しで働くことになります。

そして、フリーランスは月商の半分が必要経費で消えることを考えると・・・

無休で働いても、手に残るのは20万円程度なのです。

 

生活費を稼ぐために、依頼が足りない月はコンペに応募していました。
しかし、当選確率は約2割です。

2割。
当選確率でいうと高い方でした。
しかし、これは5件応募して1件の採用ということです。

つまり、5日作り続けて1件採用。残り4日は無駄骨となるのです。

毎日毎日、当選するかわからないコンペの作品を制作し、精神的にも擦り切れ、それが作品にも現れてしまい、さらに不採用を重ねる始末。

毎日とても忙しくしている割には豊かになることはなく、
逆に、常につきまとう収入の不安。

 

いつまでこんな生活が続くのか・・・

 

そんな状態だったのにもかかわらず、
当時の私は「さらに営業をかけて仕事を取ってこなければ!」と考えていたのです。

 

苦手な営業を繰り返し、暗中模索を繰り返す中、
ふと・・・

「自分の強みとはなんだろう・・・」
「強みがないから、営業に苦労しているのではないか??」

そんな思いに駆られました。

 

そして数日後、あるFacebook広告が目に止まったのです。

 

あなただけの独自のウリを創り出す

 

それが、のちに私にビジネスを教えてくれた先生との出会いでした。

 

人生を変えた私の決断。

 

最初の先生との個別コンサルで、私はカナヅチで頭を殴られるほどの衝撃を受けました。

当初、私がやりたいと思っていたことは、自分でモノを作り続けることが前提のビジネス。
それを

「今の仕事のやり方では、時間の限界、受注数の限界は目に見えていて、収入はすぐに頭打ちになってしまう。それでは一生豊かな生活はおくれない。そもそも、それはあなたがしたい仕事であって、お客様が求めている仕事ではないのでは?

と、ばっさり切り捨てられました。そして、こう続けられたのです。

 

いつまで「下請け仕事」をやり続けますか?

 

私にはこの言葉の意味が全くわかりませんでした。

なぜなら、当時の私はフリーランスのデザイナーは「下請けで仕事をするのが当たり前」。クライアントから依頼されるがままに、クライアントが望む制作物を仕上げるのが仕事。それ以上の価値を提供できるのは、一握りの有名デザイナーだけだと思っていたからです。

ですが、
「商品を広める方法:セールスとマーケティングの違い」について、先生が話してくれた時、マーケティングが現代社会において、個人で働く私達フリーランサーにとって、どれ程重要で効果的かに気がついたのです!

そもそも「営業」を知らない私が、闇雲に活動をしても売上があがる訳もなく、私が今まで頑張っていた「営業」はとても効率が悪いもの。

まさにライターがある時代に、一生懸命、火打ち石で火をおこそうとしているがごとく、売り上げが上がらない手法だったのです。

 

逆に、正しいマーケティングの知識を身につけることで、自分の価値を正しくお客様に伝えることができたら、ビジネスの可能性は無限大に広がります。

 

マーケティグを学ぶことで、新しく売上が上がる商品を創り出すことができる。

 

それが可能ならば、私と同じく、実力があるのに売上が上がらず苦労しているフリーランサーを救えるのでは?!

 

今までの「思い違い」と「これからすべきこと」をはっきり理解することができた私は、「お客様から選ばれる理由」と「お客様を迷わせない導線」をデザインとして組み込んだ売上があがるデザイン=セールスデザインのメソッド確立のために研究を始めました。

 

2018年3月 新たなスタート!

そして2018年3月、その先駆けとして、
無料webマガジン100枚配って30件仕事が取れる「ツカミの名刺」を皮切りに、
100枚配って30件の仕事を取る【ツカミの名刺】をリリースしました。

 

【ツカミの名刺】は、

名刺を配っても売上につながらない。
チラシやwebメディアを作っても集客できない

そう嘆く起業家の名刺を、セールスデザインによって優秀な営業マンに生まれ変わらせています。

私自身、【ツカミの名刺】をリリースすることで、マーケティング学び始めて3ヶ月で商品単価が14倍となり、しかも毎月安定して受注できるようになりました。
今では当初の21倍にまで単価が上げられています。

そして2020年からは、ツカミの名刺の実践記録をもとに、USP×セールスデザインを習得し、自ら集客の仕組み仕掛け作りができるようになる【ツカミのデザイン】を伝えています。

 

フリーランサーの働き方を変えます!

じつは、私の野望はここで終わりません。
ツカミの名刺ツカミのデザインは私にとって通過点に過ぎないのです。

私は、仕事に不安を抱えている多くのフリーランサーに、USPを身に付けることで本当の意味で「自由」を手に入れられる仕事の仕方があることを知ってもらいたい。
そのための環境づくりも始めています。

詳しい情報はブログやメルマガで発信しています。

まずは、無料PDFレポートをダウンロードして読んでみてくださいね!